町のプロフィール
寒川町は、東経139度23分4秒、北緯35度22分23秒に位置しており、首都圏から50km圏内にあります。
神奈川県の中央部を流れる相模川の河口から上流約6kmの左岸に位置し、湘南地域の一角を占めています。町域の面積は、13.42平方キロメートルで、東西2.9km、南北5.5kmと南北に長く、東は藤沢市及び小出川を隔てて茅ヶ崎市に、西は相模川を隔てて平塚市、厚木市に、南は茅ヶ崎市に、北は海老名市にそれぞれ接しています。
標高は約5〜27mで、おおむね平坦な地形で、東部は相模野台地の南西部に位置し、そのほかは相模川、小出川及び目久尻川によって形成された沖積低地となっています。台地部分は宅地と畑が大部分を占め、山林はわずかしかありません。沖積低地は、水田の割合が多いものの、昭和30年代以降の埋立てにより宅地化された地域もかなりあります。
町の沿革
「寒川」という地名は少なくとも平安時代までさかのぼることができます。承平年間(931〜938年)に編纂された『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』という百科事典のような書物のうち、相模国の地名を並べたところに「寒川」という記載があるのが、地名の最も古い記録です。
相模国一宮である寒川神社も平安時代の文献に登場する古い神社で、源頼朝、武田信玄、北条氏綱、徳川家康ら、時の為政者からも崇敬を受けてきました。江戸時代は11か村に分かれ、多くの旗本の知行地に分割されていましたが、その中には大岡忠相や田沼意次といった著名人もいました。
明治22年(1889)、町村制の施行にともない、11か村が合併して寒川村が発足しました。江戸時代以来の村には「寒川」というところはありませんでしたが、古代の地名や寒川神社にちなんで名づけられたと考えられます。
以来、120年以上、一度も市町村合併を経験していません。町制施行は昭和15年(1940)のことで、平成22年に70周年を迎えました。
町の景観 「寒川神社」
町の位置