中国では「治水の神」と知られている禹王(別名:文命)が、酒匂川畔在住の市民グループ「足柄の歴史再発見クラブ」によって、今、かながわの治水の歴史・秘話としてナゾ解きされています。
禹王は今から4000年前、氾濫を繰り返していた黄河を治めた事から、夏王朝の初代皇帝となり、「治水神」として崇められました。中国の古典「書経」や「史記」には、禹王の話が記されていますが、それを遣唐使などが持ち帰ることによって日本に伝わったと思われます。そして、治水工事の後などに、川の安全を願って禹王ゆかりの石碑をたてるようになったのでしょう。
山北町にある酒匂川西堤の文命宮と文命碑
郷土史家の調査によると、酒匂川西堤(山北町岸斑目)には国内唯一の文命宮と文命碑がペアであり、さらに東堤(南足柄市怒田の福沢神社(旧文命神社))の石碑には、鎌倉時代に京都・鴨川の治水成功で禹王廟が建てられたことにちなんでいる事が書かれています。ルーツである黄河には複数の禹王廟が確認できるそうです。
治水神、禹王ゆかりの史跡は全国各地(現在10河川18ヵ所)にあることが調査されています。
1.片品川 | 2.泙川 | 3.酒匂川 | 4.富士川 | 5.鴨川 |
6.淀川 | 7.大和川 | 8.香東川 | 9.太田川 | 10.臼杵川 |
江戸中期宝永4年(1707年)富士山の大噴火で、山野に降り積もった火山灰が酒匂川に流れ込み、大口岩流瀬の堤防が破壊されて大洪水となりました。足柄平野一帯に大きな被害を与えました。復旧工事は何度も失敗し、19年もの歳月が過ぎました。8代将軍吉宗と大岡越前守は、工事責任者に川崎の「田中丘偶(きゅうぐ)」を指名、丘隅は見事堤防復旧を成し遂げました。丘隅は、土手の永久安全を祈願して酒匂川堤の東岸大口堤と西岸岩流瀬堤に文命宮と文命碑をそれぞれ建てました。
そして、
などと伝えました。
2006年、「足柄の郷土史」を子供達に伝えたいという歴史好きなメンバー約20名で「足柄の歴史再発見クラブ」が発足しました。
「富士山と酒匂川」をつくりました。その活動の中で酒匂川の大口土手と岩流瀬土手にある文命宮が中国4000年前の夏の禹王をまつったものであり、京都の鴨川を始め全国10河川、18ヵ所に禹王ゆかりの碑が建てられていることをしりました。そこでこれら各地の人々が一同に会して語り合うことを目的に、2010年11月、開成町で「第一回全国禹王(文命)文化まつり」が開催されました。
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※ 本ページは「第一回全国禹王(文命)文化まつり資料集」から引用しています